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水平線の彼方へ
シドニーの地域では、有名な緊急病棟へ待合室に到着したのは午後の1時。
ここまでは、順調だった。けれども病院のベッドが一杯で、空きがない。
5月下旬のシドニーは、冬を迎えようとしている。外に面した自動ドアが開くたびに、冷たい隙間風が待合室に入ってくる。
僕は、椅子にすわり自分の体がバラバラにならないよう、じっと我慢しているのが精一杯だった。
胸のあたりから何か冷たい氷水の様な液体が漏れ出している感覚があった。
いったい自分に何が起きているのだろう?職場で倒れるなんて初めての事だ。
自分を構成する大事な要素の繋がりが解けているかの様だった。
結局、緊急病棟のベットが割り当てられたのは、午後5時だった。
「じっと、我慢」をしているのが子供の頃から得意だった。嫌なことがあっても、ひたすら我慢をするのだ。
ベットに横たわると、気分がずいぶんと落ち着いてきた。
検査をしても胃潰瘍胃以外には問題がなく、倒れた原因は、水分を採っていなかったので、脱水症状を起こしているだけだと、診断された。
そういえば、水を飲んでも胃に激痛が走るので、ここ数日水分すらほとんど採っていなかった事を思い出した。
成田〜シドニー行きの飛行機の機内ですら、水は飲まなかった。9時間のフライトだったのに!
気分も落ち着き「そうか・・単に脱水状態だったんだ」と思ったが、話はそんなに簡単ではなかった。
当時は、激しい胃痛、頭頂部への衝撃、オフィスで倒れた事、ホメオパシーの治療、まさか、これらが繋がっているとは思ってもみなかった。
まさに、スピリチュアルへの覚醒がはじまるスタートラインに立とうとしていたのだ。
しかも、とてつもなく困難な方法で!!
病院には2泊する事になった。初日は、胃潰瘍の内視鏡での検査だった。
検査を直前にひかえ、ガンなのではと強く不安になった。
幼いころから病弱で、毎週の様に病院へ連れて行かれ、そしてクスリを飲まされた。
病院の冷たく、無機質な雰囲気が嫌だった。
病院には人間の暖かさがないのだ。病気の時こそ、暖かさが必要なのに!
病院に入院したら最後、もう2度と退院できずに死んでしまうのではないかと、不安でしかたなかった。
病院イコール「死」のイメージがつきまとって離れないのだ。
死んだ後どうなるのだろう?との疑問が幼い頃から人一倍強かったと思う。
*
幸いにも、オーストラリアの病院は日本より人間味があり温かい雰囲気だった。
それにもかかわらず、僕は、ベットの上で「死」の恐怖に怯え内視鏡検査の順番を待っていた。
検査室に連れて行かれると、30代前半の男女の若いドクター数人のチームが、以外にも和気あいあいとした雰囲気で検査を行っていた。
検査ルームに入った瞬間、このドクターであれば信頼できるとホットした。
麻酔の様なものを注射され、意識がもうろうとなり、その後の事は覚えていない。
だた、その麻酔薬が、僕のパニック障害をさらに悪化させる決定打となったのだ。
目がさめると、病院の個室のベッドに横たわっていた。どうやら、検査は終わったようだった。
翌日、検査をしてくれた若いドクターが検査結果の報告にやってきた。
ガンだったらどうしようと、相変わらず不安でしょうがなかった。「死」に対する恐怖が頭から離れないのだ。
結果は、検査した組織には、特に異常はないとの事だった。
僕が、死ぬほど心配したのは、ただの胃潰瘍だったのだ!明日は、退院できるぞ!と、ほっと胸をなでおろした。
その日の夜は、不安から開放された安心感からか、なかなか寝つけなかった。
ところが、その日の夜に状況が急展開した。
第10話へと続く
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