筆者の覚醒物語

ホメオパシー効果体験談 レメディでスピリチュアルに覚醒した実話(10)

2010年にオースオラリアにて重度のパニック障害を発症。自然代替医療であるホメオパシーで治療を続けたところ、次第にスピリチュアルで不思議な体験をする様になる。2014年に壮大な一瞥体験をし、悟りの世界を垣間見るも、パニック障害は完治せず。その後、1000年以上も前の古いの先祖の魂たちの除霊へと展開してゆく。

現在も続いている真実の探求のストーリー 第9話

水平線の彼方へ

その日の夜は、不安から開放された安心感からか、なかなか寝つけなかった。

ところが、思いがけない事がが起こった。

病室の時計の真夜中の1時を指していた。

眠れないので、ベッドを抜け出し、病院の廊下をぶらぶらと散歩しているた。

すると、何の前触れもなく心臓が、バクバクと鼓動を始め、強烈な不安感に襲われた。

両足は、ガクガクと震え、腰から下にに力が入らない、病院のベッドに這うようにして戻った。

この強烈な、不安感は一体なんだ?僕の身体に何が起こっているんだ?

この時点ですら、これがパニック障害だとの自覚がなかった。

とにかく、普段の様に、自分で自分の身体がコントロールできないのだ。

そして追い打ちを掛ける様に、新たな不安が自分の中で持ち上がった、自分の体調不良がドクターに見つかれば、無事に退院できないかもしれない。

つまり、病院に閉じ込められるのではという不安感なのだ。

今、振り返ってみると、大した話ではないが、その時の僕にとっては、一度、病院に入院すると、「自からの意志」では退院出来ない、だから、刑務所に入れられているのと全く同じ状態だったのだ。

その気になれば、歩いて物理的に病院から抜け出すことができる、でも、病院というシステムの中で、僕は、病気を持った患者として入院している。

だから、様々な手続き上に成り立っている。つまり、僕は、論理的に閉じ込められている感じなのだ。

僕たちは、いつでも論理的に閉じ込められてい。例えば、会社と雇用契約を結び、毎日会社に通勤する、朝9時〜夕方の5時まで。

例えば、重要な会議の最中に突然席を外し、退出する事が物理的には可能だが、現実には不可能だ。だから、僕たちは論理的な檻に閉じ込められている。自らの意志では、自由になれないのだ。

論理的な檻のメタファーと、檻に閉じ込められた不安が、病院に入院するという状況の中で現れたのだ。

翌朝、僕にとっての最大の不安は、いかにパニックの様な状態をドクターや、看護師に知られる事なく、退院できるかが、焦点となった。

だって、看護婦さんに僕の心臓がバクバクと不安で鼓動が早くなり、血圧が上がっている事が見つかれば、退院できないかもしれないのだ。

僕は、いますぐにでも、自宅にある自分のベッドで戻りたい、気持ちでいっぱいなのだ!

ところが、嫌がらせの様に1時間に一回看護婦さんが、血圧を測りに来る。

ベッドで、息をひそませて、なんとか気持ちを落ち着かせようとする、でも、リラックスしようと思えば、思うほど、不安感が増し、鼓動が大きくなってゆく。

不安感が、パニックを引き起こし、パニックが不安な気持ちをさらに強め、さらにパニックを大きくする悪循環に陥っていく。

まるで、海に投げされて溺れてしまったかのように、もがけば、もがくほど、身体が水中に沈んでいくのだ。

一刻も早く、病院を抜け出す必要があった。抜け出したかった。

その為には、会計を済まし、薬を受け取る必要があった。

自宅にいる妻に迎えに来てくれるように、数時間程までに電話をしたのだが、いっこうに現れる気配はない。

再度、催促の電話をしてみる。

「いま、途中まで来てるんだけど、向かってるんだけど、チーちゃん(3歳の娘)の歩みが遅いんだよねー」

「と、とにかく、早く迎えに来て!!」とにかく、僕は必死だった。

一時間後に、妻とチーちゃんがやってきた。チーちゃんは、相変わらず元気で病室を走り回っていた。

2人が到着したあとも、僕は、一刻も早く病院を抜け出す事だけを考えていた。

入院費用の支払いは既に、済ませ、あとは、薬を受け取るだけになっていた。

ところが、いくら待っても薬の準備ができないのだ。

パニックだという事を、医者に気づかれる事なく、病院を退院するという気持が凝縮した、パニックは、ピークに達していた。

もうダメた、待っていられない。

僕の、僕は、うちの妻と看護婦さんの、制しを押し切り、病院の外へ抜け出した。

僕達は、病院の前からバスを乗り、30分ほどで自宅にたどり着いた。

病院を飛び出してからは、絶え間なくパニックの嵐に襲われ、その中で溺れていた。

第11話へと続く

Insipred by SeaZero