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水平線の彼方へ
その日の夜は、不安から開放された安心感からか、なかなか寝つけなかった。
ところが、思いがけない事がが起こった。
病室の時計の真夜中の1時を指していた。
眠れないので、ベッドを抜け出し、病院の廊下をぶらぶらと散歩しているた。
すると、何の前触れもなく心臓が、バクバクと鼓動を始め、強烈な不安感に襲われた。
両足は、ガクガクと震え、腰から下にに力が入らない、病院のベッドに這うようにして戻った。
この強烈な、不安感は一体なんだ?僕の身体に何が起こっているんだ?
この時点ですら、これがパニック障害だとの自覚がなかった。
とにかく、普段の様に、自分で自分の身体がコントロールできないのだ。
そして追い打ちを掛ける様に、新たな不安が自分の中で持ち上がった、自分の体調不良がドクターに見つかれば、無事に退院できないかもしれない。
つまり、病院に閉じ込められるのではという不安感なのだ。
今、振り返ってみると、大した話ではないが、その時の僕にとっては、一度、病院に入院すると、「自からの意志」では退院出来ない、だから、刑務所に入れられているのと全く同じ状態だったのだ。
その気になれば、歩いて物理的に病院から抜け出すことができる、でも、病院というシステムの中で、僕は、病気を持った患者として入院している。
だから、様々な手続き上に成り立っている。つまり、僕は、論理的に閉じ込められている感じなのだ。
僕たちは、いつでも論理的に閉じ込められてい。例えば、会社と雇用契約を結び、毎日会社に通勤する、朝9時〜夕方の5時まで。
例えば、重要な会議の最中に突然席を外し、退出する事が物理的には可能だが、現実には不可能だ。だから、僕たちは論理的な檻に閉じ込められている。自らの意志では、自由になれないのだ。
論理的な檻のメタファーと、檻に閉じ込められた不安が、病院に入院するという状況の中で現れたのだ。
翌朝、僕にとっての最大の不安は、いかにパニックの様な状態をドクターや、看護師に知られる事なく、退院できるかが、焦点となった。
だって、看護婦さんに僕の心臓がバクバクと不安で鼓動が早くなり、血圧が上がっている事が見つかれば、退院できないかもしれないのだ。
僕は、いますぐにでも、自宅にある自分のベッドで戻りたい、気持ちでいっぱいなのだ!
ところが、嫌がらせの様に1時間に一回看護婦さんが、血圧を測りに来る。
ベッドで、息をひそませて、なんとか気持ちを落ち着かせようとする、でも、リラックスしようと思えば、思うほど、不安感が増し、鼓動が大きくなってゆく。
不安感が、パニックを引き起こし、パニックが不安な気持ちをさらに強め、さらにパニックを大きくする悪循環に陥っていく。
まるで、海に投げされて溺れてしまったかのように、もがけば、もがくほど、身体が水中に沈んでいくのだ。
一刻も早く、病院を抜け出す必要があった。抜け出したかった。
その為には、会計を済まし、薬を受け取る必要があった。
自宅にいる妻に迎えに来てくれるように、数時間程までに電話をしたのだが、いっこうに現れる気配はない。
再度、催促の電話をしてみる。
「いま、途中まで来てるんだけど、向かってるんだけど、チーちゃん(3歳の娘)の歩みが遅いんだよねー」
「と、とにかく、早く迎えに来て!!」とにかく、僕は必死だった。
一時間後に、妻とチーちゃんがやってきた。チーちゃんは、相変わらず元気で病室を走り回っていた。
2人が到着したあとも、僕は、一刻も早く病院を抜け出す事だけを考えていた。
入院費用の支払いは既に、済ませ、あとは、薬を受け取るだけになっていた。
ところが、いくら待っても薬の準備ができないのだ。
パニックだという事を、医者に気づかれる事なく、病院を退院するという気持が凝縮した、パニックは、ピークに達していた。
もうダメた、待っていられない。
僕の、僕は、うちの妻と看護婦さんの、制しを押し切り、病院の外へ抜け出した。
僕達は、病院の前からバスを乗り、30分ほどで自宅にたどり着いた。
病院を飛び出してからは、絶え間なくパニックの嵐に襲われ、その中で溺れていた。
第11話へと続く
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