勤務時間が長く、変則的だったせいか、瞑想を日常に取り入れても、パニック障害が根本的に良くなることはなかった。
ショッピング・センターに買い物に出かけるのは苦痛で、パニックがやってくる前に、逃げ帰る様にして自宅に戻った。
幸いだったのは、職場では自宅からの勤務が推奨され、仕事は問題なく続けることが出来、収入源は確保することができた。
少なくとも、僕のパニック障害の症状は、一年前と比較すると、緩やかに改善していると言って良いだろう。
ブリスベンで小林先生に出会わなければ、ヨーロッパのマネージャーなんてとても無理だった。
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娘の千鶴(チーちゃん)は、7歳になり、2年前から始めたバイオリンの練習を毎日、かかさずやっていた。
週末になるとバイオリンの合同練習があり、泊りがけの合宿がシドニーの郊外で開催されることもあった。
人混みが苦手なこともあり、チーちゃんをバイオリンに連れて行くのはとても苦痛だった。
特に2泊3日の合宿となると、付添の親も含め参加者が100人程度になる。
当然、親同士の付き合いも必要になるのだが、沢山の人たちの波動の中に入ってゆくのは、当時の僕にはとても困難なことだった。
人々が持っている、雑多な波動の中にいると気分が悪くなるのだ。
「もうちょっと、社交的になった方がいいんじゃないの?」と妻はいつも不満そうだった。
ただ、良いこともあった。波動やエネルギーを感じる能力がずば抜けて高いので、バイオリンの音色が手に取るように分かるのだ。
まるで音が色彩鮮やかな絵画の様に見えることもあった。
また、ある時は演奏する子供達(5〜20歳)が舞台の立ち姿や、しぐさを見ただけで、どんな音色の演奏するのかを正確に感じ取ることができた。
バイオリンに関わらず演奏される音楽には、その子の個性がハッキリと現れるのは面白かった。
バイオリンを子供たちに教える先生や親は、バイオリンの理論やテクニックを中心に教えがちだ。
つまり、いかにお手本どおりに演奏し、バイオリンの試験に合格し、コンテストで良い成績を取れるかが重要になっているのだ。
けれども、どれだけ子供たちにテクニックを教えても個性を拭い取ることなど出来ないのだ。
むしろ、枠にあてはめることなく、個性を生かし、のびのびと演奏させた方が音楽はのびやかになり、人々のこころに響くだろう。
僕たちは、みんな何かの“種”だのだ。
何の種なのかは、誰にもわからない。
チューリップの種かもしれないし、ひまわりの種かもしれない。
実は、“たんぽぽ”の種なのに、「あなたは、立派なチューリップになるのよ」と親が精魂込めて育てたところで、チューリップになるの無理だろう。
それよりも、暖かく見守ることで、自分を“たんぽぽ”として認識し、立派に育つのではないか?
その時は、世界で一番美しい“たんぽぽ”になることは、間違いない。
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