筆者の覚醒物語

ホメオパシー効果体験談 レメディでスピリチュアルに覚醒した実話(7)

2010年にオースオラリアにて重度のパニック障害を発症。自然代替医療であるホメオパシーで治療を続けたところ、次第にスピリチュアルで不思議な体験をする様になる。2014年に壮大な一瞥体験をし、悟りの世界を垣間見も、パニック障害は完治せず。その後、1000年以上も前の古いの先祖の魂たちの除霊へと展開してゆく。

現在も続いている真実の探求の実話。第7話

水辺線の彼方へ

2010年は、家族にとっても僕にとっても大変な年だった。千鶴はアトピーの発疹の為に毎晩、30分おきに痒がって起き、肌を掻きむしるのだ。

それを妻が、「ちーちゃんだめよ」なだめすかしながら寝かしつける。もちろん、ステロイドの軟膏を付ければ、彼女もぐっすり眠れるだろう、けれども僕達夫婦は、それは、根本的な解決方法ではないので、ステロイドは使用しなのだ。

僕達夫婦は、慢性の寝不足におちいった。

シドニーの職場では、リストラの話が広がっていた。オーストラリアの人件費は高いのでコスト削減の格好のターゲットにされているというのだ。仕事に忙殺され、毎晩夜中の2時まで電話会議が続いた。

僕の頭の中は、家族と職場でのごたごたした問題で埋め尽くされ、足の踏み場も無いほど散らかっていた。不安症に加え持病の胃潰瘍も悪化の一途をたどっていた。

2010年5月、僕達家族はつかの間の日本への里帰りを終え、シドニーへの帰途に付いていた。カンタス航空の機内に乗り込むと、僕は、這々の体で指定された座席に腰をおろした。

そこ頃までには、胃潰瘍がピークに達していて、1週間前からお粥しか喉を通らなく、胃から出血が始まっていた。もう限界を超えていた。

パトリシアからもらった、イグネシアというレメディを舐めてみたが何も変化はなかった。

成田を離れてから1時間が過ぎた頃、娘の千鶴がトイレに行きたいと言い出した。僕は、千鶴をトイレに連れて行こうと抱きかかえた瞬間、身体に衝撃が走り、パニックに状態なった。

千鶴を妻にあずけ、僕がトイレに駆け込んだ。機内の狭いトイレのドアを締め、その場にしゃがみ込むと、今度は頭頂部に強い衝撃を感じた。

その衝撃はまるで、アニメのキャラクターがハンマーで頭をなぐられると、目から火花が散るのとそっくりだった。

僕の心臓は、バクバクと大きく鼓動を始めた。何か僕の身体に深刻な異常が起こった事には間違いなかった。

トイレのドアをあけると、幸いにも機内のキャビンのライトは暗くなっており、僕は、転げる様にして座席に戻った。

誰に気づかれまいと、座席にあったブランケットを頭からスッポリかぶった。僕の心臓の鼓動は、一段と大きくなり、これから心臓発作を起こして死んでしまうのだと不安と、恐怖と、パニックが一気に襲ってきた。

なんとかこの状況をやりすごし、残り8時間のフライトを乗り切ろうと、必死だった。それはまるで、命綱なしで綱渡りをするのと同じだった。恐怖の中で8時間をブランケットの中で過ごした。

実は、この時、頭頂部に感じた衝撃は、僕のその後の人生を変える、とても重大な出来事だとは、気づいていなかった。

8年後の今になってやっと分かったことだが、頭頂部への衝撃とパニックは「クンダリーニ・エネルギー」が活性化した瞬間だった。

クンダリーニ・エネルギーとは、スピリチュアルなエネルギーで、尾てい骨もしくは、頭頂部を強く打ち付けると活性化するのだ。

肉体・精神がスピリチュアル的に準備が出来ていないのに、クンダリーニ・エネルギーが活性化すると、様々な苦痛を伴うので危険だとも言われている。

でも、クンダリーニが活性化することは、スピリチュアル的には祝福すべり良い事とも言える。

だって、僕の魂は何千年もこの時を待っていたのだから!と、僕の師匠のボブ・フィックスは教えてくれた。

第8話へ続く

Inspired by SeaZero