筆者の覚醒物語

「地平線の彼方へ」 浄化編(3)先生との再会

瞑想の小林先生から手渡された、瞑想の小冊子の中にどうしても、気になるヒーリングの説明が記載されていた。 

ジャプー・スモーク・ヒーリングだ。スモークヒーリングでは、タイの僧侶が作った葉巻を使う。 

その葉巻には、僧侶によって祈祷が施されており、スピリチュアルなエネルギーがチャージされている。 

瞑想の先生がディーバというマントラを唱えながら、葉巻の煙を口に含み、生徒がその煙を吸う。 

すると、その煙が生徒のカラダに溜まった、ストレス(カルマ)を強力に引っ張りだし、栓の詰まりの様なものを解消するのだ。 

次回、小林先生に会った時にジャプー・スモーク・ヒーリングをお願いしようと思った。 

* 

そのタイミングは意外に早くやってきた。 

2015年12月。 

小林先生とはじめて出会ってから、ちょうど1年目のことである。 

一時帰国の為、僕は家族を連れて東京へ1ヶ月程戻った。 

パニック持ちの僕には、シドニーから東京までの9時間のフライトは相変わらず苦行だった。 

だって、人生初めてのパニック発作は、飛行機の機内、太平洋上空で起こったのだから! 

小林先生との再会はとても楽しみだった。 

先生はブリスベンに家族を残したまま単身で都内へ引っ越していたのだ。 

先生の本業は、瞑想の先生ではなく、グローバル企業に勤務するビジネスマンだ。 

毎週の様にヨーロッパ、アジアへ出張し大忙しだった。 

もちろん、瞑想はそんな先生の活動的な生活を支えていた。 

瞑想とグローバルに活躍するビジネスマンの相性はとても良いのだ。 

久しぶりに会った先生は、相変わらず元気そうだった。とても、50歳近くだとは思えない。 

どうみても、僕よりも若く、30代後半にしか見えなかった。 

僕たちは、都内にある先生の自宅マンションへと向かった。 

1LDKの部屋には先生の趣味のギター、ベース、それからヨーロッパ出張で集めた沢山のワインボトルが所狭し、と並んでいた。 

神様を祀るための祭壇はあったものの、世間一般に思われている修行を行う瞑想家のイメージのかけらも無かった。 

小林先生は、大いに自由に人生を楽しんでいる様だった。 

先生はとても不思議な話し方をするのにあらためて気がついた。 

流れるように話すのだ。 

まるで、呼吸をするかのように、 

言葉と話題が次々と溢れ出し、話が次々と展開してゆくのだ。 

スモークヒーリング 

会話の流れの中でヒーリングの話題になった。僕は、ジャプー・スモークヒーリングに興味があると改めて伝えた。 

「関さん、このヒーリングは相当きついですよ」と念押しされた。 

スモークヒーリングを受けると、大男でもぶっ倒れ、気絶する場合もあると話してくれた。 

それを聞いて、僕の身体は緊張と恐怖でガクガク震えてきた。 

“怖い”と思っていても、やりなさいと誰かに背中を押されている感覚があった。 

僕は、「是非おねがいします」と言った。 

リビングの中央に椅子を2つ向かい合わせに並べ、ヒーリングの準備を始めた。 

僕たちは、椅子に座り、僕の膝には大きなバスタオルをかけてくれた。 

先生は、懐から10センチ程の大きさの葉巻を取り出した。 

一体どうなるのだろう?と僕は緊張していた。 

先生は葉巻の先にライターで火を付ける。 

インドのインセンスにも似た、独特の香りが漂よってくる。 

先生は、独特なマントラを唱えながら、 

スピリチュアルなエネルギーを葉巻に充填し始める。 

先生は、ゆっくりと葉巻を吸い、煙が逃げない様に手で覆い、僕の顔に向かって煙を吹きかける。 

僕は、指示された通りに煙を鼻から吸い込む。 

「うぐぐっ」煙を吸い込んだ瞬間、 

この世のものとは思えない苦しみが僕を襲った。 

苦しみに、のたうち回るとはまさにこのことだった。